Apollo Producing ~アポロ プロデューシング~
代表 ブライヤーボウは
変な奴です。
1981年4月15日(良い子の日)に大阪で生まれました。
父親がアメリカ人、母親が日本人です。おかげで2ヶ国語話せます(日本語と関西弁)。
英語も多少話せます。
3歳のときに、慢性気管支喘息という病気になりました。とても症状が酷く、家の階段を上ったり、お風呂に入るだけで発作が出ました。
なので、子どものときからほとんど病院で暮らしていました。
小学校のとき、親が僕を病院から学校まで早起きをして送り届け、夕方はまた車で病院に送ってくれる毎日を過ごしていましたが、ほとんど学校には行ってなかったと思います。
今から20年以上前の話です。当時はガイジンという言葉が世間でいっぱい言われていて、イジメも多少あったからです。
そこで僕は地元の中学には行かないで、私立の中学校を受験しようと思い同志社国際中学校に一般受験すると決め、なんとか合格もすることができました。
それでも学校にはほとんど行けませんでした。体力が続かないのです。
ある日、学校の合唱コンクールを見に行ったら友達が「ボウ! 久しぶりやん! よくきたな!」と迎えてくれました。とても嬉しかったのですが、皆の発表を聞いて一緒に取り組めなかったことが寂しかったのを覚えています。
そのまま高校に進んだ僕は、ついに出席日数が足りず留年することになります。
僕は考えました。
「自分の人生をなんとかしないと」
そこで僕は高校生の1年生を留年しながら、漢方薬を中心とした治療と体質改善に取り組みました(京都は高雄病院にて)。
そして2回目の高校1年が始まるとき、日本の伝統武道である居合道を修行し始めました(京都鹿志館 館長森田忠彦師匠、森田九州雄先生のもとで)。そのおかげでなんとか学校には行けるようになっただけでなく、発作もかなり少なくなりました。居合は今も健康の為に続けています。師匠や先生のおかげで、それなりに大会でも活躍できるようになりました。
大学生活も哲学を勉強しつつ体育会居合道部で熱く取り組み、社会復帰を謳歌していそうな僕でしたが、なぜかモヤモヤしたものがずっとありました。
その僕が、どのような経緯でノンフィクション作家となったのか。
木下晴弘先生と出会い、先生のセミナーで超評判となった飛行機のムービーをはじめ感動ムービーの原作者兼総合プロデューサーとして、多くの作品を世に送り出す活動ができるようになったのか。
若くして研修、セミナーの企画・講師を行い、幸いにもリピーターがついてくださるようになったのは、どうしてなのか。
そしてなぜApollo Producingがあるのか・・・。
次の項目から順を追ってお話させていただきたいと思います。
アポロでは、京田辺市の地元業者とコラボレーションを行い、その日の作り立て糖質制限弁当を手配ができるようになりました。お忙しいご家庭のお子様に安心できるお弁当の宅配をとっています。晩御飯はアポロで!としていただければ、家庭のご負担も減り、子どもの頭と体のためにもなる食事が可能になります。